数年前、水害で唐辛子畑が全滅してしまいそうになった。
種も全部蒔いてしまっていたので、
畑が全滅したら唯一味は完全にお終いの危機でした。
その時、ばあちゃんとこんな会話があった。
「ばあちゃんに貰った唐辛子が全滅してしまうかもしれないよ。100年以上も続いていたのに、ごめんね」
と謝る私。
「無くなったら無くなったとき」
と、のらりくらりと答えるばあちゃん。
「ばあちゃんの唐辛子が無くなってもいいの?」
と声を震わせながら大雨の窓外を眺めていると、
「無くなったらしょうがない。それだけのこと」
と、穏やかな口調で何をそんなに深刻な顔をしているのだと言わんばかりの顔をしている。
不意に聞いたばあちゃんの「しょうがない」の言葉は凄く重かった。
戦争も経験した長い人生で、時代の変化があり、沢山のもの達が淘汰されてきたのを見てきたばあちゃんの「しょうがない」には、寂しい悲しい切ない楽しい温かい嬉しい可笑しい、、まだまだ沢山の形容詞が詰まっていて、「そっか。そうだね」と容易に納得することができた。
それから私は、唯一味の唐辛子がこれからどんな運命を辿るのかを、隣で見守っている人になった。
そういう気持ちになったと言った方が正しいか。
毎年、佐賀県だけではなく各地で災害が起こる。
その度に、この時の会話を思い出す。
勿論、天候にやられるだけではなく、対策もしっかりとり守れるものは守る。
あとは神に祈る。
連日振り続いた雨も、今日をピークに落ち着くそうですね。
どうか持ち堪えますように。
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