【こしょうは畑の隅で育てるもの】
この土地の昔の人は、
唐辛子のことを「こしょう」と言う。
柚子ごしょうもそこからきている。
そしてばあちゃんも同じ。
私のことを
“こしょう屋さん”と呼ぶ。
「昔からこしょうは畑ん隅で
漬け物漬ける為にちょこっと育てて
買う物じゃなかったけんが
お前がこしょう屋始めるって言い出した時は
そんなもん、誰が買うてくれるじゃろか?って
信じられんやった」
ばあちゃんはそんな話をひとしきりしたあと必ず
最後に私を「ほんに、いさぎなもん」と言う。
この「いさぎなもん」という言葉の解釈が
未だに分からないでいる。
褒められているのか、けなされているのか。
ばあちゃんの暮らしの中で
小さな頃から畑の隅に植えられ
毎年そこから種を取って
それがたまたま一年一年繋がっていただけの唐辛子。
それがこの唯一味。
私が、ばあちゃんの唐辛子が好きで
他に変えられない唯一のものだったから
種を貰って育て始めたのがはじまり。
始めて暫くしてから
その種が100年以上繋がってきていた
在来種だと知ったのだけど、
知らなかったら、と言うか
私がこの唐辛子を凄く好きにならなければ
数年前にばあちゃんが畑仕事をやめた時に
自然と無くなっていたものなんだ。
それって奇跡!
って思ったりした時期もあったけど
今はそれほど強い気持ちではなく、
無くなるのも自然の営みのひとつ
たまたま私が繋がったのも自然の流れ。
どちらであってもさほどの違いでは無いように思うのです。
それを生業にしておきながら
何かおかしいかもしれませんが。